安田学園の創立者安田リヨウは、
「女性に教育はいらない」と言われた明治時代にあって、
けっしてあきらめず、女性が学ぶ道を拓いた女性です。
父親に進学や留学を反対された少女時代、
そして夫と教え子たちの命を奪った原爆。
繰り返し立ちはだかる大きな試練にリヨウは懸命に向き合い、93年の生涯を生き抜きました。
リヨウと安田学園のあゆみ
1884(明治17)年、廣瀬リヨウは父米吉・母シズノの三女として現在の広島市中区で誕生しました。当時の女子としては珍しく高等小学校へ進学したリヨウは、自立して生きていく力を身につけたいと考え、将来を模索し始めます。
- 17歳~
-
医師を志し、東京女医学校へ進学するも、娘の身を案じる父・米吉に広島に連れ戻される。
山中高等女学校(現在の広島大学教育学部)に編入、アメリカ留学を夢みる。 - 20歳~
- 再び上京し、日本女子大学校に入学するも、またも父・米吉が猛反対し留学の夢が消える。
- 21歳~
- 父の許しを得て、東京裁縫女学校に入学。
東京で「教える」という道を見つけたリヨウ。かけがえのないパートナーとなる安田五一と広島で結婚し二女五男に恵まれますが、五一はリヨウを家庭に閉じ込めることはしませんでした。五一の支えを得て、リヨウは夢に向かって道を拓いていきます。
- 23歳~
- 広島へ帰郷し、広島商工銀行に勤めていた安田五一と結婚。家事・育児の傍ら超難関試験を突破し、教職に就く。
- 30歳~
- 夫・五一とともに広島技芸女学校を創立。
- 33歳~
- 校訓「柔しく剛く」の教育方針が評判に。
- 45歳~
- 充実期を迎え、幼稚園から大学までが揃う総合学園を志す。
夫・五一と共に築き上げてきた女子教育の場は次第に戦禍に巻き込まれ、原爆被災により失われてしまいます。広島技芸女学校の開校からちょうど30年後、リヨウが60歳の時でした。リヨウの人生は、ここで大きな困難に直面することになります。
- 50歳~
- 戦争が学校生活に大きく影を落とし始める。
- 60歳~
- 広島に人類初の原子爆弾が投下され、五一と多くの生徒・教職員が犠牲に。
- 61歳~
- 学園の再建と発展をめざし奮闘。
「幼稚園から大学までの総合学園で一貫教育を」五一が生前抱いていた夢はリヨウに受け継がれ、実現の時を迎えます。その後もリヨウは学園の発展に尽力し、未来へ続く安田学園の礎を築きました。
- 68歳~
- 幼稚園や小学校、短期大学を開設し、各校園の⻑を務める。
- 81歳~
- 五一と夢みた総合学園を実現し、学園のさらなる充実に努めた晩年。